金胎寺

金胎寺について

金胎寺の歴史

護国山金胎寺ごこくさんこんたいじは「貞享じょうきょう二年書上にねんしょじょう」にみる仏教諸宗寺院の創設年代によれば歴史は古く、今から約760年前の文応(ぶんおう)元年(1260)頃、第90代亀山天皇の時代、京都皇族の庇護ひごを受け、高野山大楽院信顕阿闍しんけんあじゃ巡国じゅんこくで越中に滞在した折、天皇家所ゆかりの神宮寺として加茂社と共に「金胎密寺こんたいみつじ」の名で創建されたとあります。本堂の天井には「十六葉じゅうろくよう八重表やえおもて菊紋きくもん」(天皇家の家紋)が配され、本尊胎蔵界大日如来と金剛界・胎蔵界の両曼荼羅まんだらが安置されていました。天正てんしょうの末頃(1590年代)は、前田利家としいえ公の兄である前田安勝やすかつ公により、西国三十三観音に習い北陸で最初の越中えっちゅう一国三十三観音の十五番札所本尊秘仏千手千眼せんじゅせんげん観世音かんぜお菩薩ぼさつ像に定められ、大変栄えました。

御詠歌: 「いにしえの またも参りて 金胎寺 あおぐ心も すずしかるらん」
短歌 : 「ほととぎす 御名ぎょめいかぞう声のうち 有明ありあけの月もいずる山のはし

また、越中一国八十八ヶ所第霊場四十番札所にも定められいます。

御詠歌: 「金胎寺 光眩ひかりまばゆ遍照へんじょうの 智慧ちえ慈悲じひをばめぐらせん」

その後寺は大破しましたが、高野山真言宗総持寺(高岡)の前住職が加賀藩藩主前田利長としなが公より兼帯けんたいを許され、慶長3年(1598)に再建されました。
 江戸時代の参勤交代の折には、加賀藩の宿駅馬宿しゅくえきうまやどを含むとなり、加茂社の他に秋葉堂も設けられ、当持院の僧侶が神仏一体の司祭をしていました。
 秋葉堂に祀られている「秋葉三尺坊大権現あきばさんじゃくぼうだいごんげん」は徳川家康所縁の遠州可垂斎えんしゅうかすいさい(曹洞宗)寺院に本殿が設けられております。この仏様は、修験道などの山岳信仰・火難除けの神仏として、参勤交代により全国で広く祀られ、大火に弱いこの地域の住民から敬われていきました。
 しかし享和きょうわ年間(1801~1804)に再び本堂、庫裏くり等が焼失したため、金胎寺再建のため旦那だんな山田重佐衛門やまだじゅうざえもんが越中富山藩前田利友としとも公に願い出、江戸幕府へと上申しました。当時幕府は謀反むほんを犯す疑いのあった加賀藩征伐せいばつの企ての影響が残っている時代でした。加賀藩はこの疑いがかかった時より江戸幕府の監視の目に対抗して、大獅子舞おおじしまいの練習の名において、密かに武術道場の指導のもと剣術の稽古をしていました。この申し出を好機とし、幕府は加賀藩を監視しようと当時寺社奉行を務めていた備後びんご福山藩第7代藩主阿部正弘あべまさひろ(後に幕府の老中ろうじゅう筆頭)を送り、加茂社の杉を伐採して2度目の金胎寺の再建が行われました。これにより、金胎寺は阿部宗家の家紋である「まる右重ねみぎがさね斑入はんいちがたか」「阿部鷹あべたか」を配置し、再建後は小杉一帯の加茂社を管理すると共に加賀藩監視の任にも就きました。
 明治11年(1878)には、小杉小学校の前身である進成しんじょう小学校が設けられます。また、山内には近隣随一の良質な水が湧く井戸があり、醸造業者が競って仕込みに使ったと伝えられ、中庭には樹齢 推定450年以上を誇る一位いちい)、弘法大師ゆかりの三鈷の松や仏教にまつわる数々の草木にて輪廻転生を表現した枯山水庭園が配置されています。

阿部鷹の羽

阿部鷹の羽

十六葉八重表菊紋

十六葉八重表菊紋

越中一国三十三観音十五番札所

越中一国三十三観音霊場 PDF(83Kb)

年表
文応元年 1260年 金胎密寺の名で創建
天正末 1590年代 越中一国巡礼の第十五番札所に制定
慶長3年 1598年 金胎寺焼失のため再建
享和元年 1801年 金胎寺消失のため2度目の再建
共に徳川家所縁の秋葉堂三尺坊大権現創建
嘉永4年 1851年 秋葉三尺坊大権現堂の再建
明治11年 1878年 進成小学校(小杉小学校の前進)に寺を開放
明治44年 1969年 金胎寺屋根修繕
令和5年 2012年 金胎寺修繕事業開始
平成24年 2012年 金胎寺修繕事業開始
平成5年 2023年 秋葉堂改修工事完了
現在も修理事業は継続されている。

秋葉堂

秋葉三尺坊大権現(秋葉堂)とその由来

秋葉堂に祀られている「秋葉三尺坊大権現」の由来は、遠くはバビロニア王国時代の天空の神「アヌンナキ」、エジプトにおいては「ホルス神」、インド・アジアにおいては「ガルーダ迦楼羅かるら神」として有名です。 日本においては「烏天狗からすてんぐ」として初めて日本書紀で紹介された神様であります。また、日本独自の山岳信仰、修験道、密教と相まって「秋葉三尺坊大権現」として江戸時代に全国に広まった神仏習合の仏様でもあります。

インド神話では、ガルーダ神は天空の神々の中でその時最強であったドラゴン族(蛇族)の帝釈天たいしゃくてんに勝利した最強の神であると伝えられています。戦いに負けた帝釈天は、これからはガルーダ神がこの地上を収めてほしいと願い出たところ、ガルーダはそれを断り、反対にお互い戦った神々の後押しをすると言われ、仏教では火炎(仏像の光炎)として描かれたり、配置されています。

このガルーダ神の強大な力の現れの一つとして、羽一枚から孔雀明王が生まれたという逸話を持っています。 金胎寺においては、江戸時代の参勤交代の際に納められ現在に至ります。

秋葉三尺坊大権現(ガルーダ神)はインドネシアの国旗と、インドネシア航空の翼に描かれています。モンゴルのウランバートル市では、市の市旗となっています。
江戸時代には大火を鎮めるという霊験を表し、秋葉原に祀られ、土地の名前になったことでも有名です。また、インドの神話で寺院、仏閣を守るキールティムッカの神の分身としても有名で、仏教における鳥居(トーラナ)の由来の神でもあります。また、バビロニア時代の別ルートでイスラエルの失われた10支族の神でもあり、神社においては「八咫烏」と言われています。ちなみにヘブライ語においても鳥居を「トリイ」とそのまま発音します。神社でのお神輿の「ワッショイ、ワッショイ」や相撲の「はっけよい、のこった」もヘブライ語です。
故に秋葉三尺坊大権現(ガルーダ神)は、アジアで最強の神といえるのです。

ガルーダ神(迦楼羅神)

  • 真言第一呪「オン・キシハ・ソワカ・オン・ハキシャ・ソワカ」
  • 第二呪「オン・ギャロダヤ(ガルダヤ)・ソワカ」

秋葉三尺坊大権現真言

  • 第一呪「オン・アロマヤ・テング・スマンキ・ソワカ」
  • 第二呪「オン・ヒラヒラ・ケンヒラ・ケンノウ・ソワカ」

ご利益

厄除け、奇病除け、延命、雨乞い、火伏、火の用心、子授け、子宝成就、安産成就、家内安全、交通安全、商売繁盛 等々

神仏習合の国家 アジアの神々と繋がる民の証

日本の国歌「君が代」もまたヘブライ語です。
神仏はヘブライ語から辿ると本来の起源は同じです。神社もお寺も共に神々と繋がる場所に変わりありません。
「クムガ・ヨワ テオニ ヤ・チヨニ サッ・サリード イワ・オト・ナリァタコカノ・ムーシュ・マッテ」
(立ち上がれ シオンの民 神に選ばれし者 喜べ人類を救う民として 神の預言が成就する 全地で語り鳴り響け)

トーラナ図(鳥居)

バビロニア王国 アヌンナキ

バビロニア王国
アヌンナキ

古代エジプト ホルス神

古代エジプト
ホルス神

日本 鴉天狗 秋葉三尺坊大権現

日本
烏天狗・天狗・八咫烏
迦楼羅・秋葉三尺坊大権現